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東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 (40)
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東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 p. 20
「みんなで翻刻」の該当頁
後吉田城主の池田輝政や小笠原氏などの庇護を受けた事もあり、御覧の
通り
仁王門、本堂、観音堂などがあります。有名な観音様は、一
間四面の入母屋造りへ流れ向拝がつき三ッ斗組が使はれ、また斗束には実肘【月+斗】木が使つてあります。仁王門は近頃のものですけれども、仁王尊には元禄拾弐年九月吉日京都寺町
通り
ます。この大路が先に
通り
ました松山町の繁華を奪つた新道です。どうも豊橋の道は真直なのが少く、昔
の道なども出来た当時などノラクラ街道などといはれたものです松林寺左手に大きな建物が見えませう。これが松林寺で豊橋では一等古い歴史を持つた寺なのです。御覧の
通り
最新式の建物で三七
東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 p. 39
「みんなで翻刻」の該当頁
日はこれから右へ参りましたが、今日は中の道を参ります。これが旧停車場
通り
で、いま常盤
通り
東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 p. 10
「みんなで翻刻」の該当頁
れが豊橋の玄關口です。豊橋驛【ゴチック見出し】御覧の
通り
驛はあまり大きい方ではありませんが、燕
の外は特急も止りますし大變に都合はよいのです。ご承知の
通り
この驛は明治貳拾壹年九月一日の開業で、其
東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 p. 38
「みんなで翻刻」の該当頁
七二これから西へ坂を下りて水路を渡ります。こゝは西新町で右側に偉大な常夜灯がありませう。これは銘文にある
通り
れから南へ行つて西に曲つた処に東口の総門があつたさうで地形は其頃とは大変に変つてゐます。これを今一度南へ行くと東西の
通り
があり、これが鍛冶町で、以
東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 p. 55
「みんなで翻刻」の該当頁
一〇六つた処で、その大聖寺は今石塚町にありますからそれへ参りませう裏手に当る市民病院の横を
通り
此処へ移つたのですが此処には以前から庚申堂があつて同居した訳で、今日でも石塚の庚申と呼ぶ方がよく分ります。何もありませんがこの堂の下から附近へかけて御覧の
通り
東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 p. 28
「みんなで翻刻」の該当頁
れを他に移して公園や市街地にしたいと云ふ意見もありますが、少し大きすぎて、中々実現致しません。これから追々に東に参ります。この
通り
は以前士族屋敷のあつた処で、御覧の
通り
多少その面影を残したものもあります。左側のが県社神明社此社は天慶三年朝廷から伊勢神宮へ献ぜ
東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 p. 25
「みんなで翻刻」の該当頁
あります。これは元禄から安永へかけての人です。この墓地には御覧の
通り
大楠が三本並んで居ります。あ
街地の事ですから切られたり枯れたりで、十尺以上のものは殆んど指を折る程しかありません。今度は西の通用門を出ませう。此
通り
が吉屋町で、以
東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 p. 42
「みんなで翻刻」の該当頁
八〇これから引返して魚町の一つ北の
通り
へ出ます。これが札木町、此東が電車線を越へて呉服町、昨日
通り
東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 p. 45
「みんなで翻刻」の該当頁
永四年此地へ来られたのを手初めに、其後も時々
通り
懸りに杖を止めて華道を伝へ、当時この観音寺の住職も弟子の一人でしたが、吉
社だけは城の鎮守として残したといひます。御覧の
通り
社殿は余り立派とは云へませんが八七
東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 p. 51
「みんなで翻刻」の該当頁
こで二川の窟観音に祈願をかけると満願の夜夢に観音が現はれ、向ふ岸へ縄を張つてそのたるみだけ反らせよと教へられたので、其
通り
にして成功しました。大
治天皇御小休所は今郵便局の隣りで夏目直一氏の宅ですがこれは明治十一年十月御東行のとき大橋の流失で仮橋を御
通り
願つた際、御
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